コミュ力チャージ
僕は面識の薄い人と話そうとするとどうしても気が引けてしまう。話せないというわけではないのだが、話す前にいったん勇気を出して、覚悟を決めて話しかけてしまう。僕だけでしょうか?
話す対象が、自分にとっての嫌いな人の雰囲気を纏っているのなら、話す前に緊張してしまうかもしれない。実際に僕も、あまり好きではない人と話さなくてはならなかったときに、顔色をうかがいながら話していた記憶がある。
ただ、「仲良くなってみたい人」に話しかけたくても、僕は話す前に勇気をだして話しかけてしまうのだ。
接点の少ない人に対して、興味があるからただなんとなく話しかける。というのがなかなかできない。
大学生の時に、研究室が同じで何回か顔を合わせた男の子がいた。彼と出会って2,3週間の期間は、話すために理由を考えてから話しかけていた。当時、耳の裏に吹き出物ができていたのでそれを理由に話しかけたことがある。突然、「俺の耳の裏になんかできてない?」と話しかけてきた僕はさぞ不審な人間であったでしょう。
あの人前に同じ教室にいたよな、話しかけようかな...。でも話す理由なんてないしなあ、あっ、どっか行っちゃった...。という経験が何度かある。不信感がないように相手の動きを目の端っこで追いかけて話しかけるチャンスをうかがっていた。怖いよ。
きっと幾度となくそういったチャンスを逃して生きてきた。もしかしたらあったかもしれない出会いを逃して今がある。
だからといって不便なことはないけれど。多くの人と話せることは凄いことだと思うし、話す力を身に着けることに繋がると思う。難しいんですけどね。
そんなコミュ力不足を感じている人に聞いてほしい曲が一曲ある。
キリンジの「ザ・チャンス」という曲だ。人によって歌詞の解釈は様々だと思うけれど、僕はこの曲を「細かいことは気にせずとりあえず外に出ろ!」という応援歌みたいなものだと思っている。
歌詞の中に
どこかで何かが君を待ってる
教えきれないニュースの海原を
どこかの誰かと巡り会っていく
胸躍るようなスタイルで行こうじゃないか
というフレーズがある。
僕も、日々の中で出会う「誰か」と出会うチャンスを有意義に扱える人になりたいと思う。
「コミュ力の高い人」が初対面の人と話す際はそんなことを気にしているのだろうか?すごく気になる。