僕が小学生の時に「ミッケ」という本が流行った。中休みになるとクラスの数人で図書室へ向かい、ミッケを開いたことを覚えている。

 

ちなみに、ミッケとは本の中に隠れているお題を探す絵本である。ポケモンを探せ!シリーズと似てる。

 

ミッケはジオラマの写真の中からお題の物を探す。これが意外と難しい。3人で探しているはずなのに2,3分の間見つからないことがある。久しぶりにやりたい。

 

僕はこのミッケシリーズを小さいころに見たせいか、ジオラマやミニチュアの写真を見るとなんだかワクワクしてしまう。

 

ミッケのジオラマは、玩具や文房具、作り物のキャンディなど、様々なものを配置して街だったり家を作っている。このミッケの世界観が独創的で、とってもファンシーで好きだ。

 

なんでジオラマが好きなんだろ?と考えたときに真っ先にミッケの世界観が頭の中に浮かんだ。そっか、ミッケのもつジオラマでしか表現できない、空想のようなあの世界観が好きなんだろうな、と考えた。

 

もちろんミニチュアやジオラマの持つ特有の「非現実的な雰囲気」が好きなのが、僕のジオラマが好きな理由の一つだった。けど、その理由はもう一つあった。

 

とあるジオラマを見てそれに気が付いた。

 

それは、孤独死をした方の部屋を再現したジオラマであった。

 

山のように積まれたごみが積まれ、足場のないような部屋や、人間であったものが溶けてしまい、赤褐色の液体で満たされたカビだらけの浴槽のジオラマをニュースで見た。

 

そこにあったのはミッケのように心躍る空想の世界じゃなくて、冷たいリアルな世界だった。

 

不謹慎だけど、すごいと思ってしまった。精巧な作りのジオラマを見て感心した。

 

作品を作るのにどんなことをして、どのようにミニチュアを配置していたかを想像した。完成までの道のりがどんなものであったか興味深かった。

 

僕は、ジオラマを作る過程を想像し、その努力を感じることが好きなのだ。

 

ジオラマは世界を作っている。それは夢のような街だったり、亡くなってしまった方々の家だったり様々だ。

 

僕はそんなジオラマに収められている小さな世界が見せてくれる景色が好きだ。

 

小さいけれど、そこには作った人の思いだったり頑張りが中に詰まっている。小さいけれどその中に含まれているエネルギーはとっても大きい。そこにあるエネルギーは僕の心を動かしてくれる。