自分を出せぃ!

僕が大学3年の冬、飲み会に行った時の出来事である。飲み会のメンバーは僕を含めて6人。男子3名、女子3名での構成であった。ちなみに部活の知り合いと学校の友達だ。

 

僕はバイトがあったので、2次会からの参加であった。僕が到着すると、すでに何名かは出来上がっていた。

 

人は酔っぱらうと気が大きくなる。ぶっちゃけたトークや悩み事、恋愛の話は酔っぱらったときに話題に上がりやすいような気がする。だからこそ、酔っぱらったときの会話は怖い。余計な一言や思ってもみなかった感情を吐露してしまいそうで不安だ。

 

人の心の中には、きっと触れてもいい場所と触れてほしくない場所の二つの領域がある。酔うと、その心のテリトリーが曖昧になってゆく。だから人に打ち明け話ができたりする。それは、心の隠したかった部分を人にさらしやすくなるからなのだ。

 

ここまでが前置き。長くなりそうなので実際にあった出来事を話します。

 

僕は二次会から参加だったので、1次会から参加のみんなに合わせるためにとりあえずビールをグビグビと飲んだ。ワインも飲んだ。当然すぐ酔っぱらった。

 

自分は酔っぱらうとすぐに顔が赤くなる。だからみんなもすぐに僕が酔っていることに気づく。酔っていることがわかると踏み込んだ話をされやすい。

 

顔が真っ赤になった僕に対して友人はこう聞いてきた。

 

「いつも大人数でいるときニコニコしてるけどさ、ストレスとかたまんないの?」

 

氷のぼっこ(棒)をおでこにつけられたような、そんな感じだった。突然の質問。しかも図星、自分が気にしていることを正確に突かれた。僕は人といると「ええかっこしい」になるのだ。つい人におごっちゃったり、人に対していつも以上に肯定的になる。

 

酔ってフワフワした頭でどう返すか迷った。正直に「たまるよ」っていうか、いつものように「そんなことないよ」って言うべきか。でも、その時の僕は酔ってたから正直だった。心のウインドウの「たまるよ」にカーソルを合わせて左クリックした。

 

ついでにちょっとした悩みも打ち明けた。悩みの内容は皆さんには言わない。皆さんは僕の隠したいテリトリーに連れてってあげられないのです。申し訳ない。

 

友人たちは相談を聞きつつも僕にやさしい言葉や労いの言葉をかけてくれた。酔っぱらっているときの人は気分がいい。人にやさしくなれる(別に飲み会にいた友人たちが普段は意地悪な人って訳じゃないよ!!)。

 

自分がちょっと無理していることがばれていたことにびっくりした。人って良く自分のことを見ているんだなあと感心した。

 

そういえば中学生の時に友達(飲み会とは別の子)に「○○ちゃん(僕の愛称)って愛想笑いがうまいよな!」って言われたのを思い出した。

 

上手な愛想笑いらしい。ばれてんのに上手ってなんか矛盾してね?って思いつつも愛想笑いした記憶がある。それを見てやっぱうまいよって言われた。全然うまくないじゃねえか!!友人に悪意がなかったので全然気にしなかったけど、今思えばそんな昔からニコニコする癖がついてたらしい。

 

やっぱり自分の心に素直に従って行動したほうがいいんだと再確認した。体裁や周りを気にした行動は人にばれるし、ストレスをためる。それならばいっそ愛想笑いなどせずに自分らしく動くのがずっと楽だ。普通の人は。

 

僕はどうしても周囲の反応や体裁を気にする。これはもう胸に沁みついた癖だ。今まで生きてきた中で正直になれた場面がたくさんあったなら、今の僕はないかもしれない。そう言っていいほどに、僕は「気にしがち野郎」だ。

 

愛想笑いが周りの気を使った行動だったのなら幾分かいい。だが僕はちがう、自分に気を使ったうえでの愛想笑いなのだ。みんなに嫌われぬよう、みんなの中に溶け込めるように笑う。みんなが笑っているから僕も笑う。そうして集団になじんだと錯覚させて安心する。ここにいても良いのだという安心感が欲しい。

 

そんな僕に早いとこオサラバしたい。今日の話の中に出てきた飲み会でその一歩を踏めた気がする。飾らず、ありのままの自分を受け入れてもらうのは心地いい。受け入れてもらえないかどうか不安ではある。

 

けれど、その不安を超えた先に本当の自分の居場所がある。そんな気がしている。