ノリの良さは面白さではない

バスに乗り遅れないように走ってバス停に向かっていた。僕の目指すバス停の近くには中学校がある。バス停に面した通りに部活帰りであろう少年たち(4人くらい)が、たむろって談笑していた。少年たちはほぼ坊主頭だった。多分野球部だ。

 

彼らの5mほどそばを走り抜けようとした時だった。彼らは走っている僕に気づき、「イチ!二!」と掛け声をかけてきやがった。僕は内心、くだらねぇな...なめてんじゃねーぞ!、とムカついた。

 

そんな心とは裏腹に、僕は「ヘーイ!!」と軽快に応じて走った。僕もくだらねぇことをしていたと思う。そんな僕を見た彼らは、「なんだあの人...」と思ったのだろう、苦笑いで僕の方を見ていた。

 

僕は昔から見知らぬ人に絡まれやすい。前書いたかもしれないが、ガキ大将に足を引っかけられたり、知らない高校の生徒にいちゃもんをつけられたり、レジ打ちのバイト中に大学生の集団に「あれ?濱口?」と聞かれたりしたことがある。(ちなみに僕の顔はかなりよゐこ濱口に似ている)

 

臆病者の僕は、たいてい面倒くさい奴に絡まれたときに、へりくだっていざこざを回避しようとする。内心では「だるいわ!死ねよ!!」と思っていても、相手の都合の良い人物を演じて去っていく。面倒ごとは起こらないけれど、心にフラストレーションがたまる。

 

僕は、この「他人に都合の良い人間であろうとする」行為を無意識に行ってしまう癖がある。そうすることで喧嘩だったり面倒ごとを起こさずに済むからだ。

 

だが、内心こう思っている面もあるのかもしれない。「面白い奴だと思われたい」と。

 

冒頭で野球少年に声をかけられた際も、別にこっちが掛け声を上げる必要は全くない。いい人を演じたいのなら笑顔で会釈すれば十分である。でも、僕はオーバーに彼らへ対応した。

 

周りの人に合わせて、好きでもないのにティックトックのダンスを踊ったりした。かなり真面目に踊った。そんな僕をみんなは笑ってくれた。そうすることで自分の存在意義だったり、面白い人でありたいと思うプライドを保った。そんなに気張らなくてもいいのに、そんなに面白い人間でないのに。

 

きっと僕は面白い人間ではない。でも、面白くありたい。だからせめて周りの人には笑ってほしい。笑ってもらうことで心の形を保っていたい。けど、笑わせるのは得意じゃないから、なんとかして笑われようとしたこともあった。

 

悪い癖だと思う。けれど、笑ってもらうと嬉しい。人生のどこかで勘違いしてしまった。自分の心に噓をついてまで笑わせることを楽しいと思わせるようになってしまった。相手のノリにのって都合の良い人間であろうとしてしまう癖がついてしまった。

 

おもしろい人間でありたいと思うのは結構だけれど、そこにくだらないプライドが生じている。道化になってまで理想を追う必要なんてない。

 

せめて、自分も笑って相手も笑って、双方が心地よくいられる空間を作る力が欲しい。それができたらきっと最強

小学生だったころの夢

小学2年生の冬にクラス冊子を作ることになった。冊子には、1年を通して楽しかった思い出についての作文と学生のプロフィールを書いた。

 

プロフィールの内容は、「似顔絵」と「将来の夢」と「好きな食べ物」と、あともう二つほどあったのだが、忘れてしまった。ちなみに担任の先生もプロフィールを書いていたのだが、似顔絵がすごくうまかった。先生ってすごい。

 

僕はすでに作文の内容や好きな食べ物に関しての記述を記憶から消してしまった。多分好きな食べ物の欄には「カレーライス」と書いていたと思うのだが、確証はない。10年以上前の記憶だからしょうがない。

 

だが、似顔絵と将来の夢についての記憶ははっきりと残っている。この二つに関しては、印象に残ったエピソードがあるからだ。

 

まず、似顔絵について書いていこうと思う。

 

小学2年生の書く似顔絵を想像してみてほしい。女の子は、少女漫画っぽいタッチだったり、キラキラした目で描く子が多いイメージじゃないだろうか。男の子なら、どうぶつの森シリーズの主人公みたいな顔にしているような感じだと思う。少なくとも同級生の絵はそのような画風だった。

 

僕の絵だけ少し異質だった。逆三角形にディフォルメされた口と、「く」の字のような鼻、ヘルメットみたいな髪と太マジックで書いたような眉毛、あとは「目」。

 

目のタッチだけリアルだった。例えるならHUNTER×HUNTERのイルミみたいな目だった。クラスのみんなと並べた際に僕の目だけ目立っていた。ダジャレ?

 

別に誰にもからかわれたわけではないのだけれど、「僕だけ違う」という状況に恐怖を感じた。あれ以降似顔絵を描く際は、他の人の似顔絵をチラ見して、周りの人のタッチに合うような絵を心掛けるようにした。

 

もう一つは「将来の夢」について書きたい。

 

きっと僕の小学二年生のときの夢はだれにも当てることはできないと思う。それくらいにありえない夢なのだ。ちなみに僕の小6の時の担任の先生は「機関車」だったらしい。先生、それ人ですらないよ...。あと、僕の夢も人間じゃない、というオチではない。

 

正解は「アルバイト」です。

 

言い換えるとフリーター。僕の母親が、友達のお母さんにからかわれて恥ずかしかったと笑っていた記憶がある。母さんゴメンね。

 

ちなみにちゃんと理由があってアルバイトと書いた。ウケ狙いで書いたつもりは全くなかった。

 

当時、「おいでよどうぶつの森」というDSソフトが流行っていた。このゲームでは序盤に家具や道具を扱っている商店で「アルバイト」をするのだ。

 

アルバイトを通して、プレイ方法(アイテムの出し入れや家具の配置)を学ぶ。店の前に花を設置して外観をよくしたり、ゲーム内のメールを通して店の宣伝をすることや、住人へ家具を届けることがアルバイトの内容である。

 

僕はどうぶつの森をプレイして勘違いしてしまったのだ。8歳の僕は「アルバイト」とは、お店のために手伝いをしてお金をもらう職業なのである、と脳へインプットした。内容としては、完全に違うわけではないのだが、アルバイトは「職業」ではなかった。

 

という僕のしくじりについてのお話である。ちなみに大学1年生のときにアルバイトをする夢はかなった。心の中で「あれ?夢がかなってる」と気づいた。おめでとう

 

それ以降、何か外に発信する際になるべく下調べをするようになった。2年生の僕にありがとう

恋せよ漢

この前、とあるスーパーで買い物をしたときに、同い年くらいのレジの女の子に「お疲れ様です。」と言われた。いや、もしかしたら「ありがとうございます」の可能性もなくもないんだけど。ほぼ確実(90%くらい)お疲れ様です。と言われた。

 

同じバイト先の人なら「お疲れ様です」とあいさつするのはわかるけれど、ふつうは「お疲れ様です」、とお客様に言うだろうか。

 

そのスーパーというのが、僕のバイト先に隣接するスーパーなのだ。だから、彼女がバイトの僕を見ていたからこそ、「お疲れ様です」と言われたこともあり得る。でも、レジで労いの言葉をもらったときに引っかかった。もしかして知り合いなんじゃなかろうか。中学の同級生だったとか可能性は十分にある。

 

正直、(多分知らない)女の子に「お疲れ様です」と言われたら、僕はすごくうれしい。いいことあるもんだなって思う。正直気になってしまう。

 

僕は今まで人を好きになったことがあるのかわからない。恋する気持ちがどんな気持ちであるかわからないのです。きっと女の子に思いを伝えた経験がないからである。というよりも、女の子と親しくした経験がないからだと思う。女性との経験の浅さゆえに自分の恋愛観が定まっていないのだ。ギザ悲しす。

 

けれど、この子可愛いなあ、とか、この人気になるなあ、と思った経験は何回かある。そのたびに思う。僕はなんて気になる人が多いのだ。なんて罪な奴なのだ。いろんな人に心を寄せようとしているじゃないか。と

 

もちろん、さっきのレジの女の子もすっごい気になった。帰宅してから、いろいろ考えた。知り合いなのかな。仮に知らない子だったらなんで挨拶してくれたんだろうとか、これって恋のはじまりってやつかな??とか。彼女がこのブログを見たら多分ドン引きだろう。ネットの匿名性って素晴らしい!

 

20歳を過ぎたころだったと思う。あれくらいから、もの凄く恋愛に憧れた。周囲の友人や知り合いたちが彼女を持つようになり、恋愛話がよく話題に上がるようになったかである。実はもの凄く羨ましかった。以前のブログでも書いたと思うのだけど、僕はすごく嫉妬しやすくて他人を気にする性格なので、自分の経験のなさを気にした。

 

それから、カップルを見るたびにムスッとするようになった。幸せな人を見てるとこっちまで幸せになる。とかいう人もけれど、赤の他人が幸せそうな姿を見てても別に幸せにはならなかった。少なくても幸せそうな男女を見ると、ケッ!くだらんとか思ってた。内心、自分をみじめに感じた。自分はなんて妬ましい人なんだと思ってよけいみじめに感じた。

 

多分恋に恋しているんだろうなと思う。恋して、恋人ができて、デートしたり、手をつないだり、恋人らしいことをする。そんな毎日に憧れているのだ。

 

きっと恋人がいる人からしてみりゃ、デートとか、そんなお前が思ってるほど大したことじゃないよ。って言ってくれると思う。うるせえ!!俺にとっては大したことなんだよ。学生生活の中で彼女がいたお前にはわからん。俺の気持ちは。

 

悲しいけれど、バレンタインチョコは10年以上もらってない。すくなくとも中学に上がってからは親以外にもらってない。きっとそうなってしまった理由はいくつかある。語ると6000字くらいになりそうだから、詳しくは書かない。機会があったら書きたい。

 

ちなみに、大学3年生のときに友人に「なぜ俺に恋人ができないのか」という議題で話したことがある。この話もすごくしたい。これもまた今度。

 

最後に言いたい。特に自分に自信がない童貞の男性たちに言いたい。「学生時代に恋愛しとけばなあ」と。さっきも書いたけれど、拗らせるのだ。嫉妬深く自分に対する正当な評価を下せない正確に育ってしまった男性は、恋愛をこじらせる傾向があると思う。

 

恋愛してきてないチェリーボーイの大半は、女性との距離の詰め方がわからないのだ。そのような男性の大半は、女性に対して気遣いをしないわけでもないし、なんなら、女性に対して優しくしようとする男性だと思う(そう思いたい)。

 

でもその気遣いが不自然になってしまっている気がする。どう女性に接するべきかのバイブルがないからしょうがないのだけど。それと、すぐ女性と仲良くなったと勘違いする。業務連絡のラインが来て、ちょっと教室で話しただけで「この子可愛いな。てか、話しかけてくれたってことは気があるんちゃうん?」と思う。自惚れるなタコ助が。

 

そういう経験を何度しても一向に女性に対して親しくなれない。迷走してしまう。恋とは何か、俺はなぜ女友達ができないのか。なぜあいつはモテるのか、駅にいるカップルをチラ見しては焦燥感にかられるようになる。このブログを見てくれたみんなはぜひこうならないようにしてほしい。

 

と、いうことでこういう男にならないための方法を皆さんに教えたいと思う。「それは、他人と自分を比べない」ことである。自分の思う楽しいこと、夢中になれることに正直になって日々を過ごすと、他人からの評価や他人との優劣を気にする人間になりにくくなると思う。ぜひ、皆様の心に正直になって、楽しいと思ことに意識を向けて、時間を注いでみてほしい。

 

見直してて思った。なんだか気色悪い...。気持ち悪いしなんだか悲しい。青春時代に真っ当な恋愛をしなかったせいでねじ曲がってしまったやつの文章だ。でも、ブログとして公開しよう。だって匿名だもの。ネットって素晴らしい。

去年くらいから夢占いを始めた。夢占いというのは、寝ている間に見た夢の中での出来事や情景から、自分の精神状態を図ったり、運勢を占うものである。

 

僕はけっこう夢を覚えているタイプの人なので、朝目覚めたら布団のそばにおいてあるスマホに手を伸ばして、見た夢についてネット検索する。

 

先月見た夢で記憶にあるのは、家の前が洪水になって浸水するのだが、何故か我が家のベランダの前にクジラが大きな口を開けてたたずんでいるのを見ている夢であった。

 

ちなみに夢の中のクジラは「大きな力や意思」の暗示であるらしい(もちろん寝起きですぐに調べた)。私自身が今、環境の変化の中にいるので、言われてみれば当たっていなくもないなあ。と感じた。ちなみに白いクジラが出る夢は良い夢で、幸運の予兆らしい。一方、クジラに食べられる夢は、ストレスの暗示らしい。同じクジラの夢でも、全然イメージが違って面白い。

 

もう一つ、こんな夢も見た。

 

知らない人と殺しあう夢である(怖いわ)。小学生の時に暮らしていた一軒家で見知らぬ人と暮らしあう夢を見た。僕は包丁を持っていたのだが、襲ってきた相手の腕を切り落とした(刺された?)記憶がある。ちなみにその後相手から逃げるのだけれど、相手に顔を切られて死ぬ瞬間に目覚めた。バイオレンスな夢だなあ。

 

ちなみに顔のわからない人物に刃物で襲われる夢は、人への不安や覚悟のなさの暗示らしい。だから、人への恐怖として夢の中で襲われるらしい。うーん、当たってる。詳しくは言えないのだけれど、当たってる。

 

ちなみに、顔の知っている相手に襲われた場合は、襲ってきた相手への恐怖やうしろめたさの暗示らしい。夢の内容からもなんとなく察しがつくかも?

 

また、刃物で人を切る夢はストレスの暗示らしい。さっきのクジラの夢といい、俺は心が弱いのか!?あと、人の腕を切断する夢も人間関係のストレスであるらしい。人付き合い下手太郎なことを気にしすぎだろ...。

 

このまま書いていてもきっと、対人関係のストレスに関係する夢の話ばっかりになりそうなのでそろそろおひらきにしようと思う。

 

世の中には、夢を見ない人もいるらしいが、ぜひ夢を見る方は夢占いを試してみてほしい。意外と面白いから。ちなみに初めて占いの本を買ってしまった。(2021~2023の間の運勢を書き記した本でした)ハマりすぎには注意しようね!!

タルパだッ!!

お久しぶりです。最近私情が落ち着いてきたのでやっとブログの更新ができました...。いろいろあるけれど、僕は今日も元気です。

 

前回にひき続き、タルパについてのお話をさせていただきたいと思います。いくぞ!!

 

一つ前のブログを書いた翌日に、タルパについて調べてみました。どうやらタルパは「幻影」という意味があるらしい。かっこよ!

 

また、タルパについてGoogle検索をかけたときに驚いたことがある。皆さん、試しにGoogleの検索ボックスに「たるぱ」と入力してみてほしい。おそらく検索サジェストの上位に「タルパ 作り方」と出てくると思う。その気になれば修行僧じゃなくてもタルパの作成が可能なようです。タルパを生み出すことはチベット仏教の奥義らしいけど、一般人に作れちゃっていいのか...?

 

ということでタルパのつくりかたについて調べてみました。でも、危険性もあるみたい...。だからみんなは作らないようにしようね!!

 

タルパの作成には、まず理想のタルパ(人や動物)を細部まで強くイメージし、視覚化する訓練をする必要があるようです。頭の中でできたタルパを想像しつつ、視覚の中に存在させるようにイメージすることで、視覚化できるようになるみたいです。ハンターハンターでクラピカが鎖を具現化するためにやってた修行と似てる?

 

タルパ作成の第二段階は、「タルパのオート化」らしいです。

視覚化させたタルパに対して話しかけ、どのようにタルパが返答するかをイメージしつつ、会話の練習をすることで、やがてタルパが勝手に話しかけてくれるようになるみたい。タルパの作成を練習している人がいたら、ぜひオート化を行うための練習風景を見せてほしい。やべーやつみたいで面白そうだから。

 

この「オート化」の段階まで行けばほぼタルパの完成らしい。あとはタルパのいる日常を楽しめばいいんだと。

 

ただ、「タルパの増殖」とか「タルパの暴走」が起こることもあるらしい。前者の危険性はあまりないようだけれど、後者はかなり怖いらしい。パチンコでエヴァ初号機が暴走してくれたら嬉しいんだけど

 

タルパが自分の意志に反した動きをしたり、自分に対して攻撃的な行動をすることをタルパの暴走というらしい。暴走の結果、タルパに意識を乗っ取られることもあるらしい(ホントか?)。

 

ということで生半可な意志でタルパを作ると大変なことになってしまうかもしれないらしい。タルパをつくるときは気をつけようね!

僕の見えないお友達

僕には独り言をよくいう癖がある。一人暮らしをすると独り言が増えるなどとよく言われているが、僕は実家暮らしであるのにも関わらず、独り言が多い(ちなみに自室で独り言を言っています)。

 

高校生くらいには独り言が多いということに気づいていたのだが、大学生になって学校内に友達がいなくなってからはかなり独り言が増えた。一人っ子なのも関係している可能性があるが、それにしたって多い。自室にいるときは、1時間のうち20分は独り言を言ってる(マジだよ!)。

 

独り言といえば、例えば「腹減ったな~」とか「そろそろ寝なきゃな~」といった感じで一言で終わりになると思う。だが、僕の最近の独り言はもうほぼ会話である。「あーカラオケ行きたいなぁ...」、「明日暇だし行くか!スピッツのアルバム曲縛りで歌おうぜ!」みたいな。

 

会話みたいな独り言をしていることに気づいたときに、あることを思い出した。

 

たしか僕が3~4歳のころだったと思う。僕の周りには「見えないお友達」がいたのだ。その友達は僕の自宅におり、お喋りをしてくれた。彼らは合計で4人だった。一人は「アキラくん」であり、他の3人の名前はもう思い出せない。

 

当時は病気がちだったため、幼稚園には行かず、ほぼ一日中家にいたから、彼らとはほぼ一緒にいた気がする。ちなみに母や父が一緒にいるときも話しかけてくれた。そのため、幼少期の話をすると、母に「あんた小さいころに透明な友達いたよね~」といわれるときがある。

 

彼らのような、空想上の友達を「イマジナリーフレンド」いうらしい。調べてみたところ、幼少期の子供、特に一人っ子や長子によくみられる現象であるようだ。僕は一人っ子、う~ん当たってる。

 

僕が小学生になるころにはイマジナリーフレンドたちはいなくなってしまっていた気がする。きっと、僕が幼稚園に行き、集団の中で過ごしていく内に不要になっていったのだろう。ただ、小学生になってもよく人形遊びをしていたため、完全に消え去ってしまったわけではないのかもしれない。

 

ただ、ちょっとこの話、怖いとは思わないだろうか。「それホントは幽霊なんじゃね?」と思った方もいるのではなかろうか。幽霊も確かに怖い...。だが、仮に幽霊じゃなくても怖いと僕は思っている。

 

僕はイマジナリーフレンドたちと「会話」をしていた記憶がある。僕が一方的に独り言を言っていたのではなく、僕は「会話」をしていたはずだ。つまり、その空想上の友達は僕にレスポンスしてくれていたのである。

 

僕の頭の中にいる存在のくせして、一丁前に話しかけてきやがったのだ。

...怖っ!!

 

漫画やアニメで、二重人格のキャラが頭の中の別人格に話しかけられるシーンがあると思うのだが、あれみたいなものだ。まるで自分の頭の中にもう一人の人がいたようなものではないか、と考えたらすごい怖くなってしまった。

 

ちなみに、自分の意思を超えてイマジナリーフレンドが動き、自分の行動に影響を及ぼしてしまうことはあるらしい。いわゆる「隔離性同一障害」というやつである。もし、そのままイマジナリーフレンドがい続けていたらそうなってしまっていたかもしれない...。

 

もっと調べていくと、自分の意志でイマジナリーフレンドを作り出す人もいることを知った。自分で都合のいい友達(ほとんどかわいい女の子やペットらしい)をつくりだす者がいるようだ。愚かな者だな!

 

そのように人為的に作り出したイマジナリーフレンドのことを「タルパ」というらしい。タルパの作成はチベット仏教の奥義の一つにもなっているらしい。頭がおかしいんじゃないか?

 

ちなみに、その「タルパ」とやらについて調べているとなかなか面白い話が出てくる。

 

と、いうことで次回はタルパについてのお話をしたいと思う。今日はもうここらへんで終了だ。ぜひお暇な方は次回のブログにも付き合ってくれると幸いです。

めんどくさい病

よく父から「冷蔵庫の中のお菓子お前のか?もらってもいい?」と言われる。僕は大抵、めんどくさそうに「いいよ」と返している。

 

別に父からチョコなり、ポテチなりを食べられるのが嫌なわけではない...、うーん、やっぱり嫌かもしれない。といった悩みに迷わされる。

 

昔から僕は、頼みごとをされると、きっぱりと断れない質なのである。なんとなく「いいよ」と答えてしまう。もちろん相手は無理なことを頼むわけではない。もちろん頼みごとの中には重要なことだったり、どうでもいいことだってある。

 

ただ、中には、別に頼まれてもいいけれど、めんどくさいなぁ...と思ってしまうものだってある。例えば「宿題の解答見せてほしい」といったものである。それも何回もである。忙しいときにラインで答えを問われた際に「自分でやれやぁ!」と叫んだこともある。まあ、答えは見せたんですけどね(解答の送信には4,5分しかかからなかった)。

 

ここまで読んだ人の中で、こう思った方がいるかもしれない。「お前も断れや!!」と。

 

それがめんどくさくてたまらないのである。僕はなぜか、「人から何か頼まれごとをする面倒くささ」よりも「頼まれごとを断ることの面倒くささ」を強く意識してしまうのだ。

 

きっと、断ることで相手から嫌な奴だと思われることへの不安だったり、いいやつだと思われたいが故の思考なのだと思う。別に嫌われようが何だろうが自分の考えをしっかりと伝えることの方が大事(なことだってある)というのは分かっているつもりなのだが、なかなかそれが実行に移せないまま少年期、青年期と過ごしてしまったため、こうなってしまった。僕の弱点の一つである。

 

最後に、ここで一つ言っておきたいことがある。最近ブログの更新をしてなかったことについてだ。

 

最近忙しくて、ブログを書くのがめんどくさくなって書いていませんでした...。

 

面倒くさいってはっきりいうのっていいね!!